6/26
前略。
夏、なのかな?
ご無沙汰しております。ご無沙汰していた間に、体重が激減したり、微増したり。
結局、まあちょっと太めな感じです。
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おとといまで、浮腫みがひどく、体調も悪くて。というのを妹に言ったら「PMSじゃない?」と一蹴。そういえば、生理後だわ。原因がわかった頃にはすっとおさまっていました。
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今日は病院をハシゴした一日でした。
別府の病院に入院している、末期がんのおばの見舞いに行ってきたのだけど、
おばは未だに「ハッピーエンディング」という韓国ドラマを観ているほど、自身の病状についてあまり理解していないよう。それは良いことなのか、悪いことなのか。
今、彼女は水も飲み込めず吐いてしまう(食べ物はまったく受け付けず、点滴だけでもっている)状態なんだけど、目標は「口からごはんが食べられるようになること」。それはものすごくハードルが高いと思うよ、、、。余命2年と告知されてからもうすぐ2年目に突入するけれど、のほほんと構えているというか、悲壮感がないというか。生への執着がすごい。わたしなら、きつい抗がん剤治療よりも緩和ケアを希望するだろうな……。
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ヨレヨレ
実は。ここ数年、本という本をほとんど読んでいない。字が多めの雑誌もそうだ。140字以上の文章を読もうとすると、目がつるっとすべってしまい、同じところを何度も読み返すハメになる。
そんな状況を推してでも、読みたい雑誌が現れた。前々回でふれた「ヨレヨレ」である。つい先日、清志郎表紙の第2号、アホの坂田が表紙の第3号をめでたく手に入れることができたので、ここは一気にいきたいところ。とはいえ、前述のように目はすべる。ハードルは結構高い。なかなかに難所だが、ちょっとがんばってみることにした。
第1号。表紙は宮崎駿。(宮崎駿は一切出てこない)のっけから表紙裏の谷川俊太郎の詩にノックダウン。谷川俊太郎とよりあい代表の村瀬孝生の対談「谷川さん、認知症です!」もいい。目を惹いたのは「宅老所よりあい」入門特集。『だいたい15分ぐらい読めばわかる』というキャッチが踊るが、何分かかったっけな‥‥‥? まあ、そんなことはどうでもよくて。「よりあい誕生大体史」これがべらぼうに面白く、一気に「よりあい」の世界に引きずり込まれることに。ちなみに、この号の表紙には『楽しもう。もがきながらも。』とのコピー。ううん、そうだよねえ。
12/16
そういえば。
「ヨレヨレ」の創刊号を読んだのだった。そんでびっくりした。「この10年、僕は雑誌を作らせてもらえなかった。つまり、完全に干されていたということだ」と、編集後記にあったからだ。え、なんで??? 鹿子さんのように優秀な編集者/ライターが?
‥‥‥わたしがライターをやっていた時、鹿子さんは福岡の某出版社の編集者だった。が、特に原稿を依頼されることもなく。(わたしの得意とする分野の担当じゃなかったこともある)一度も接点はなかった。ただ、一方的に憧れていた。だって、べらぼうにおもしろかったのだ、鹿子さんの書くものは。正直、負けた! と思っていた。(もちろん、勝ち負けじゃない)いや、ほんとうに面白かった。オモシロすぎて、あそこの会社からははみ出していた。その後、フリーの編集者/ライターとして、競艇雑誌に関わっていたり、何かしらやっていたように思う。その頃、一度ファンレター的なメールを送ったんだよなー。返信? あったけれど、「病気、よくなるといいですね」そう書かれていたな‥‥‥。(鬱病こじらせていた頃だった)
しかし。今まで、わたし以外の人は上手く渡っていってる、と思っていたが、そういうわけでもないんだなあ。
ともあれ、「ヨレヨレ」は、今、すごく勢いのある雑誌だと思うし、10歳の天才画家「モンドくん」効果もあり、もっともっと伸びていくと思う。影ながら応援しています。
12/15
今でこそ、サブカルクソババアを自認しているわたしだが、「カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生」コピー本の感想を聞かれた時は、自分のほんとうの気持ちは棚に上げて「こんな女の子、いた、いた!」と口走ったものだった。だって、主人公の「カーミィ」はわたし。そう思った。でも、相手は久保さん。わたしも「カーミィ」だ、と認めてしまうことはとても恥ずかしくてできなかった。
‥‥‥なんてことをふと考えてしまったのは、「ブルータス」の樋口毅宏さんの小説「ドルフィン・ソングを救え!」を読んだからだ。ちょっと引用してみる。
《(略)この部屋は素敵なスリープ・マシーン。そしてエンタテインメント・ルーム。ヤードセールで買ったリトグラフと、南欧風のパインツリーのテーブル。IKEAのソファに横になりながらテレビを観る。カルビーのポテトチップスを食べながら、手を伸ばせば読みたい本が転がっているし、聴きたい曲が入ったラップトップがある。
極楽だ。このままでいいよね? と思っていた。ところがだ。
『カフェでよくかかっているJ-POPのボサノヴァカバーを歌う女の一生』というマンガと出合った。数年前に出た本だ。帯にはこう書かれていた。
「自意識の不良債権を背負ったすべての男女に贈るサブカルクソ野郎狂想曲!!」
久保ミツロウとか大根仁とかブルボン小林とか、私の好きな人たちがコメントを寄せていて、ブックオフのレジに持っていった。
そして読んだ。
ショックだった。
(略)
笑えなかった。ギャグマンガの体裁を取っているが、ちっとも可笑しくなかった 。
あの滑稽な主人公は、私だった。
売れているものを見下し、アンチメジャーを認め、「自分は人と違う」というアリバイのために、センスの良さそうな音楽を聴く。映画を観るし、本も読む。自分には見る目があると思っている。いっぱしに批評家を気取り、アマゾンのレビューに投稿する。たまに「参考になった」に投票が入って、ちょっと嬉しくなる。
だけど現実は何もない自分。痛い痛い痛い自分。》
最初のくだりを読んでて、全身がくすぐったくなった。
ええと、これって、、、メタ・フィクション?
「ボサノヴァカバー」をわざとなぞってる、よね?
あたまのわるいわたしには上手いことが言えないんだけど、樋口さん、書いてて気恥ずかしくならなかったのかな?
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主人公は自分の身を省みるが、
《だけどもう遅い。
だってついさっき、私はいいかげん自分の人生に呆れて、酔っ払った勢いから、コツコツ溜めてきた睡眠薬を、まるごとひと瓶飲んでしまったのだから。》
と幕を閉じる。
‥‥‥わかってないなあ。人の一生って、もっとじたばたしてるもんだよ。わたしの人生なんて呆れかえっちゃうことばっかりだったけれど、それでもわたしは生きているよ。なんだかんだやってても。
樋口毅宏さんの小説を読んだのは初めてだったが、ちゃちゃっと小手先で書いているような気がしてならないのは、同族嫌悪なんですかねー。
12/6
アトホール10周年記念! KOMA(劫魔)ライヴin大分
KOMAというのは、勝井祐二/U-zhaan/益子樹/千住宗臣からなるバンドなのですが、今回アトホールで演るとのことで、寒波の真っただ中、行ってきました。客入れ時の音楽が民族風だったので一抹の不安が過ぎる、も、そんな気持ちはすぐ遥か遠くに吹っ飛んだ。‥‥‥しかし、この興奮をどう言い表せば良いのだろう。適当な言葉が思いつかない。そうだ、大森靖子の歌に「音楽は魔法ではない」という逆説的フレーズがあるが、KOMAが奏でるグルーヴはまさにそれ。音楽は魔法。そうだ、音楽は魔法、なのだ。(不似合いなKinKi Kidsを聴きながら、これ書いてます/TV観てる)‥‥‥あ、一言で終わっちゃった。 いったんあげちゃう。